2011年06月24日

はじめにつくるもの(リアルとデフォルメについて)

芯ができあがり、これでフィギュア造形を始める準備が整いました。

ではさっそく造形を行っていきましょうと言いたいところですが、その前に重要なことを決めなくてはなりません。

何を造ればいいのでしょうか?

ここに至っていったい何を言っているのだ? と思われてもしかたのない、あまりに根本的な問いかけです。

本来ならば、芯の製作以前に、すでに決定していなければいけない問題です。

造るべき題材や構想があるからこそ、粘土を手に取ったのだと言われてもしかたがないでしょう。

ほとんどの方が、造りたいものがあるからこそ、造形をしてみたいと考えたのではないかと思います。

しかし中には、造形には興味があるしその手法も知りたいけど、まだ何かを造ろうとまでは考えていない方々もいらっしゃるのではないかと思います。

ここではそのような方々、造形を始めてみたいけど具体的な製作構想までは考えていないという方々が、少しでも実際の造形に近づけるように、とりあえず何を造ればいいのかという問題を、参考までに考えてみたいと思います。

美少女フィギュア、リアルフィギュア、クリーチャー、メカ。

ここをご覧になられている方々が造りたいと思われるだろうものは、上記のジャンルにだいたい当てはまるのではないでしょうか。

もちろんどれから造り始めてもかまわないし、自由に製作することが大切なのですが、もし本当に粘土造形を始めたばかりで何から造ればいいのかわからないという場合は、やはり、「ある程度リアルなバランスの人体フィギュア」から始めることをお勧めします。

私の個人的な考えですが、リアルなバランスの人体を造り慣れている人は、たいていの場合、ほとんどのジャンルの造形をこなすことができるはずです。

こなす、という意味は、とりあえず造形ができるという意味ではなく、どのような造形物であってもバランス良く、あるいは、カッコよく造形できるのではないか、という意味です。

「カッコいい」という言葉は、エンターテイメントの世界(フィギュア造形物を含む)では特によく使われますが、この言葉の解釈は人それぞれです。

「カッコいい」と「美しい」の間に差はあるのか、「カッコいい」と「出来がいい」の違いは何か、などということを考え始めると、何年か前に議論になった「萌え」の定義と同じような深みにはまり込んでしまいそうになるために、ここでは深くは突っ込まないことにしますが、最近ではどうも、女性がよく使用する「かわいい」とほぼ同じような感覚で、「カッコいい」が男性の間で使用されているようにも感じます。

いずれにしても、ある人にとってはカッコ良く見えても、別の人から見るとそれほどでもない、ということはよくあることであり、言葉の意味がはっきりと定義されていない以上、当然のことでしょう。

しかしそれでも、多くの人が「カッコいい」と感じる、公約数的な基準はあるように思います。

私はその基準が、「自然が造った造形物」の中にあるのではないかと思います。

樹木や岩石、山や川、動物や昆虫などの、生まれてきたときからずっと目にし続けている自然の立体物が、私たちの中で、「カッコいい」という概念の共通認識となっているのではないでしょうか。

その中でも特に人間の身体は、私たちが毎日ずっと見ている自然造形物であり、一番親しみのある立体物であると思います。

親しみすぎて文字通り自然な感じを抱く人体こそは、私たちが、というよりは、人間が何かを製作する場合に、無意識のうちに参考としている基準になっているのではないかと考えるのです。

例えば、自動車デザインを評論する記事などでは、「官能的」や「筋肉質」という表現がよく使われていたりします。

これは、カタチやラインから、人体を連想するためだと思われます。

中には、「ガンダム的」と表現された自動車デザインもありましたが、この表現についても、本質的には同様です。

このように、人は人工的な立体物を眺めるとき、そこに自分が知っている何らかの基準を、意識的にしろ無意識にしろ、当てはめて表現しようとするものです。

その基準の、最もたるものが、人体だと言えるのです。

見慣れた人体の、バランスやラインが、立体物を評価する場合の基準となっているのです。

つまり、「カッコいい」や「美しい」という概念の、ひとつの基準である人体をつくることができれば、その基準は他の造形物全てに当てはめることができる、という考え方です。

この考え方から、まず始めに造形するものは、ある程度リアルな、見慣れたバランスの人体が適当であろうと考えるわけです。

こう書いてしまうと、それはデッサン(広義的意味で)を勉強しなさいと言っているのか? と誤解されるかもしれません。

そうではありません。

造形の入門書を眺めていると、いきなり骨格や筋肉構造などの解説を始めていたりしますが、そんなややこしいところは読み飛ばしてもかまいません。

正しい骨格の形状や筋肉の名称などの知識は、学校で美術を学ぶ人たちが行えばいいことであり、フィギュアを造ろうと考える私たちにとって、いますぐに必要なものではありません。

まずは、感覚だけを頼りにして自由に造形を始める方が間違いなく楽しめるし、それが上達への近道です。

ただし、フィギュア造形にデッサンが全く必要がない、と言っているわけではありません。

フィギュア造形であろうと、広い意味では美術分野の彫刻、彫塑に分類されます。
このことからもわかるように、美術的デッサンは近い将来に間違いなく必要になってきます。

現時点では、解説書に書いてあるような体系的な勉強は必要がない、という意味だと理解してください。

もう少し言えば、ある程度造形に慣れてきた時点のどこかで、きっと、デッサンが必要だと感じ始めるようになると思います。

そう感じたときに初めて、解説書の読み飛ばした部分を広げて見れば良いのです。

少しだけアドバイスをするとすれば、特にデッサンの勉強は必要ではないけれど、普段からできるだけ他人を観察するようにした方が良い、ということでしょうか。

周りに歩いているたくさんの人たちを、少し意識して観察することが、なによりも良い勉強になると思います。

とは言っても、あまり集中して女子高生を眺め続けると大変なことになる可能性もなきにしもあらずですので、注意が必要です。

充分に注意した上で、きちんと観察することが大切です。
目的は造形技術の向上ですので、そのあたりを間違えないようにしてください。

周囲の人々を観察することで得られるものは、筋肉や骨格、人体の構造ではなく、全体のフォルムです。

人が歩いたり座っていたりするときの自然なカタチを、全体として覚えておくようにしましょう。

普段の何気ない観察が積み重なれば、フィギュアにポーズを取らせて肉盛りしたときに、ここはこんな風にはならないなと、自然にわかるようになるものです。

ここはこんな風にはならない、と違和感を得られるようにすることが、観察の目的です。

もともと見慣れた人体ですので、少し観察を続ければ、どのようなポーズをフィギュアに取らせても、おかしい場合は違和感を得ることができるようになるはずです。

この、違和感を感じ取るということは、フィギュア造形を行う上で、かなり重要なことです。

前述したように、人体は誰もが見慣れている立体物です。

つまり、造形を行ったことがない人たちでも、フィギュアの人体的におかしな部分は、簡単に見抜いてしまうものなのです。

フィギュア製作中に違和感に気がつかないまま、あるいは放置したままで造形を完成させてしまうと、どんなに精緻なディティールを施そうとも、全体のカタチがおかしいと思われてしまい、それが評価になってしまいます。

このようなことを防ぐためにも、日頃からの観察を怠らず、違和感を感じ取れるようになりましょう。

日頃からの観察を造形に活かせるようになれば、さらに次の段階に進むことができるようになります。

観察を元に、ある程度リアルなバランスを持った違和感のないフィギュアを造れるようになれば、今度は逆に、わざと違和感を出すという方法が可能になります。

違和感を全面に押し出して、それで全体をまとめれば、それはデフォルメと呼ばれる手法となるのです。

例えば、曲線で構成されたリアルな脚のラインから、少しずつ余分な曲面を削り落としていけば、アニメでよく見かける単純な線で作られたイラスト風の造形となります。

ここで注意しなければいけないことは、デフォルメは、本来は余分な面や線を削り落とす方向で表されるというところです。

つまり、はじめにリアルなバランスの人体を造形していれば、デフォルメされた造形にも向かいやすい、ということになるのです。

単純な直線のように見えても、それが複雑な曲線が単純化されてそうなったのか、はじめから単純な線だったのかでは、大きな違いなのです。

もちろんはじめからデフォルメされた3頭身のフィギュアを造ることも、いけないことではありません。

前述したように、自由に造りたいものを造ることが、何よりも大切なことだからです。

しかし、デフォルメされた人体造形からリアルな人体造形に向かうには、その逆よりも難しくなるということは言えるでしょう。

ある意味、リアルからデフォルメは不可逆であるとも言えるかもしれません。

このことからも、まずはじめに造るのなら、それなりにリアルなバランスの人体から始めることをお勧めしたいのです。

ここから先は少々過激な内容になるかもしれません。
あくまでも私個人の考えですので、軽く読み流していただければと思います。

ここまで書いてきたように私個人は、リアルからデフォルメは、本来は不可逆だと考えています。

それでもなぜ、フィギュアの世界にはデフォルメされたキャラクター造形がこれほど多くあるのでしょうか。

好きなキャラクターを造っているから、という理由がほとんどでしょうが、今回はそれ以外の理由を、あえて考えてみます。

言葉は悪いのですが、デフォルメされた造形というものは、ある程度のごまかしが効き、手軽に造形できるから、という理由が大きいのではないかと思うのです。

フィギュア上に表現された直線が、はたして曲線から導き出されたものなのか、あるいは見た目そのままの直線なのかは、なかなか判断はつけにくいものです。

それでも、見分けがつかないということは、悪いことではありません。

見分けがつかないほどデフォルメされたフィギュアに特化された造形技術というものは、それはそれで高度なものだと思うからです。

しかし私としては、これから造形を始めようとする方々には、造形の幅や造形技術の点から考えて、将来、頭の中のどんなイメージでも自由にカタチにできるように、リアルから入って欲しいと思うのです。

これは何も、美少女フィギュア系だけのことを話しているわけではありません。

ごまかしが効くという意味では、クリーチャー系造形でも同様です。

クリーチャーは、表面に緻密なディティールが入っていれば、基本的なデッサンがどうであろうとそれなりに見られるモノになってしまうのです。

ある意味、美少女系フィギュアよりも、ごまかしがしやすいし、同時にばれにくいとも言えます。

ごまかしがいけない、と言っているのではありません。

問題は、そのごまかしが誰に向けられたものか、ということなのです。

第三者に向けられたものならそう問題ではありません。

造形者本人は、自分はごまかしをしていると自覚しているだろうからです。

一番問題なのは、ごまかしが造形した本人に向けられているのではないかと懸念されることです。

自分自身にたいしてごまかしを行っているのなら、それこそが問題になるべきだと思います。

自身をごまかした時点で、その先の向上はなくなるのです。

これ以上に残念なことはありません。

その本人のみに留まらず、フィギュア造形界全体の損失となるのですから。

この損失をできるだけ避けるためにも、はじめは簡単でもいいから、頭身バランスをリアルに振った造形から始めてもらえたらなあと、私は思うのです。

この考えがあったからこそ、ここまでで製作してきたフィギュアの芯は、あまりデフォルメされていないタイプを選択しました。

今回はあまりに独善的すぎると、書いているそばから思いながらもここまで書いてしまいましたが、こういう考えの人間がいてもいいよねと、できれば寛容な気持ちで受け流してもらえればと思います。

posted by fgdiary at 18:38| Comment(0) | 日記
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